第16弾!ナチュラリゼーション千日行。2017.3.15

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こんにちは、まつじゅんです。

この三月で、この京都の岩倉に移転してきて丸6年になりました。

岩倉という土地はあの比叡山の麓にあります。

毎日比叡山を眺め、そして眺めるだけでは物足りなくなり、そのうち走りだしました。

比叡山の千日回峰行というのをご存じですか?

天台宗延暦寺で行われている行の中で最も過酷とされる苦行なんです。

何十キロという比叡山の山道を駆け巡ること約1000日、不眠不休で9日間行う堂入りなどの行があります。

途中で行を止めたら自害という命を懸けた凄まじい行で、比叡山1200年の歴史で行を終えた者は50人。

行を2回終えた者はたったの3人。

行を終えた者は生き仏と崇められ、阿闍梨(あじゃり)と呼ばれています。

私は比叡山を登ることで阿闍梨の存在を知り、知れば知る程彼らへの尊敬の念は深く深くなっていきました。

私が行っているナチュラリゼーションなど阿闍梨の行に比べれば、足元にも及ばないと言いますか、スズメの涙位の行ですね。

だって苦しくないから!!!

苦行ならぬ楽行です。

苦行でも楽行でも大切な事は続ける事です。

ここに関しては同じですね。

ここで茂木健一郎氏のブログから。

永平寺の悟りのシステム

中略。

禅僧の南直哉さんにうかがった話では、永平寺の修行システムは、まさに、何も求めず、問わずにただ日常の所作を繰り返すというものだと言う。
そのような作業の繰り返しが結局は悟りへの道だということが長年の経験でわかっている。

永平寺では、これだけのことをしたらこれだけのメリットがあるというような発想が徹底的に否定される。
それどころが、自分が自分であるというアイデンティティさえ消し去られる。
何をしても何を言ってもそれでどうこうということがない。

大切なのはメリットを求めず、結果を約束しないという事です。

私自身、何のメリットも結果も約束されていない中、ただひたすら行っているのです。

これをやり続けたら一体どうなるんだろうという興味だけなんです。

ただ毎日体が少しずつですが、今までに無い変化するのを感じています。

変化の先に何が約束されているわけでもありません。

子供たちにナチュラリゼーションを教えだして二年が過ぎました。

子供だからすぐ変化して結果が出るかもしれない。

最初はそういう期待がありました。

変化はしますけど、一年経っても結果は出ない日々。

でも変化はしてるんですよね。

どんどん人間じゃない体になっていく。

あ、これ結果求めたらダメなんだなと気付いてからは観察に徹しました。

二年経っても結果は出ない。

でも一年前よりもかなり変化している。

子供たちを観察しながら分かった事がありました。

それはですね、

私自身がナチュラリゼーションを分かっていなかったという事です。

自分が分かっていないと気付くまでに二年掛かったというわけですね(笑)

私がナチュラリゼーションを提唱してから二年半が過ぎました。

「もう一度、運動人生をやりなおせ!赤ちゃんに学ぶ運動進化論」

今日でナチュラリゼーション915日目なんです、私。

まだ千日行を満行していないんです。

この2月からある方と週3日でナチュラリゼーション100というのをやり始めました。

公園で100メートル単位でナチュラリゼーションをやるんです。

これがまた面白くて面白くて。

室内でちょこまかやって分かっていたつもりでいた自分を発見するわけです。

二年経って物足りないなと感じたからやり始めたんですね。

物足らないと感じるまでやってきたから100Mやるわけで、

そう感じるまでやりきってないのに100Mやると痛いしっぺ返しがあるかもしれません(笑)

6月くらいに千日行を終える予定ですが、ナチュラリゼーション阿闍梨になれてたらいいですね。

いや、最後の行がある。

比叡山を四足歩行で登りきる。

こればっかりは苦行になりそうですね。

比叡山1200年の歴史で四足で登った最初のアホになりたいと思います。

アホじゃないとやってられないよ!!!(笑)

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